平和と幸福の道しるべ

書写テーマと講演内容

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家和して万事なる

1 幸福とは万事なることです

幸福とは、全てのことがうまくいくことです。(万事なる) 人との関係が円満であること。物との関係が豊かなこと。生活の安定。そして健康。 地域、国家、世界が平和であること。

2 不幸とは万事がうまくいかないことです

人との関係が不和―家族、親族、町内、職場、学校、団体、 血のつながり―家族、親族、地域―町内会、仕事―職場、団体 生活が不安定―仕事がない、給料がすくない、衣食住が貧弱、病気。事故、災難

3 幸福―万事なるために、最も重要なのは、家族円満です―家が和すること

不幸の解決のために家族以外のことに専念する―もっと不幸になる 不幸の根は、家族不和である―夫婦、家族円満に心がける しかし、家族円満でも職場などの人間関係が悪い人がいる―生活不安定―万事ならず 文鮮明先生の指導―真の愛で満たされた家庭をつくること―真の家和 真の愛とは―自分のものを分けてあげ、報いをもとめない―相手の喜びのみ―怨みなし 家族愛から人類愛の広がる愛―家族さえよけれはではない―辞書にない

4 真の愛で家和すと国と世界が平和となる

真の愛で愛されると―人を家族のように思って仕え、自分のものを分けてあげる 父母の温かい愛で育った子―困っている人を愛の心で助ける 兄弟姉妹の情け深い愛で育った子―隣人を厚い情を分かち合って生きる 文鮮明先生―13人兄弟で育つ。*栗の木――「こら、猿、早く降りて来い」姉の叫び

5 真の愛で家和すと万事なる

神様は家族愛の真ん中にいる―天運を引き寄せる、 天運が家族に必要な人と万物を引き寄せて、万事をなす。(全てのことをうまくいかせる)

6 万事を成して幸福となる秘訣

①、    夫婦円満が幸福の根であることを悟って愛し合う。夫婦愛が昇華して父母愛となる 夫婦をないがしろにして仕事など問題解決に専念しない。それは枝葉である。 ②、    不幸を他人のせいにせず、自分の心を愛で満たす。

7 心の書写とは

自分の心を変える―夫婦家族を愛せない心―怨み憎しみ許せない心、諦め心、逃げる心 真の愛をもたれた文鮮明先生の心に似る努力をする。 書写で真の愛を自分の心に書き写す、移植する。 私が愛の人となる―夫が安らぎをえる―夫婦和す、親子和す、嫁姑和す―万事なる 白と黒のブルース。妻の心が白くなると夫の心が灰色となる―早く家にかえる。安全。  

互いを認め合い助け合って生きる

 

1 幸福は原理に従って生きる人生にある

幸福の原理とは―宇宙の原理、認め合い、助け合い、ために生き合う まず、相手のために生きる―助けられる 健康-各器官が助け合う、胃腸―手足―頭脳神経、胃腸の病気、手足が動く回復 幸福―家族がために生きる―夫は妻のため、妻は夫のため、相手の喜びのために結婚 姑は嫁のため「自分の娘以上に嫁をもっと愛さなければなりません」 嫁は姑のため「いくら厳しい姑でも、息子娘より、姑舅をもっと愛する」  

2 不幸は原理に反して生きる人生

不幸は―自分のために人を従わせる。自分勝手に生きる―胃腸心臓が休業―死 「毎日、毎年、一生私のために生きなさい」年数が重なるほど、反発される。 自己中心―暴飲暴食―体を酷使―病気、夫婦嫁姑が互いに自分のために酷使―不幸 *ある自己中心者―死期、ために生きる―マッサージ神経痛―話を聞く居眠り *ある夫「定年になるから君は自由に生きていいよ」妻「いまさらなによ」と怒る *「この人は人生の貯金をしてきたのです」毎日お見舞いがくる患者―ホスピス  

3 助けを求めた人を惜しみなくたすける―幸福の種まき

人との関係―過去背景は?未来は?「どのような人になるか分からない」 「よかろうと悪かろうと、因縁を結んだすべての人々を大事にしなければなりません」 「天がこの人を助けるようにと送ってくれた」惜しみなく助ける 天が覚えて自分が助けを必要としたとき天が人を送ってくれる 人を救ってわが身助かる *    文鮮明先生―学生、路上で病人、背負って病院へ、治療費をはらう、学費がなくなる *    朝鮮戦争、平壌で骨折した男を助ける、足の悪い弟子が原理をまとめる、支えられる  

4 心の書写

不幸とは―原理に従って生きれない心の結果―自己中心、人をために生きさせる心 幸福とは―人のために生きる心、 原理的心を言葉を自分の心に書き写す。ために生きる心を自己中心の心に接木する ために生きる愛の栄養分が自分の心に根付いていく 不幸な人に書写を勧める―幸福の種まき、困ったときに助けられる因縁をつくる *    嫁に朝食器洗いを要求して不満を抱いた姑の証し *    夫に不満を抱いて洗濯をしていた妻が作業服を手で洗うようになった証し  

心を尽くして人の話を聞いてあげる

1 幸福にはどうしたらなれるでしょうか

愛することによってなれます。夫婦は互いに愛し合えば幸福になれ、親子は互いに愛し合えば幸福になれます。嫁姑も愛し合えば円満になれます。 一般的に愛するとは、相手に尽くすことを意味しています。例えば、誕生日などにプレゼントするとか、励ましの言葉をかけるとか、肩もみなどマッサージをしてあげるなど、具体的に物や体を使って尽くすこと言います。 愛するとは、あげること、与えることのようです。 ところで、文鮮明先生は、「心を尽くして人の話を聞いてあげる」ことも、人を愛することだと言われるのです。話しを聞いてあげることが「その人の生命を愛する道である」と言われるのです。人の話を、心をつくして聞いてあげることが、「生命を尊く思って、敬い仰ぐこと」だと言われるのです。  

2 心を尽くして人の話を聞いてあげる

私たちは人の話を聞いて生きていますが、話の聞き方には二つあるようです。 一つは、自分のために人の話を聞く場合です。 自分のために人の話を聞く、というのはちょっと奇妙な感じですが、じつは多くの人がそうしているです。例えば、商品を販売したり、団体に勧誘したり、あるいは自分の利益の目的のために、人の話を聞く場合がそうです。相手の話を聞くのが目的ではなく、手段となっているのです。自分にとって利益をるために人の話を聞くので、利益にならなければ、直ちに話を打ち切ります。聞くだけ無駄であり、時間がもったいないからです。無駄話になるからです。 また、自分を励まし愛されるために人の話をきくこともあります。この場合は、自分にとって耳触りのいい話は聞きますが、都合の悪い話や気分を害する話になる、中断してしまいます。自分のために人の話を聞いているからです。   もう一つの聞き方は、相手のために話をきく、聞き方です。 では、相手のために話をきくとは、どのような聞き方なのでしょうか。 文鮮明先生の言われる「心を尽くして人の話を聞いてあげる」とはどのような聞き方なのでしょうか。 それには、二つの聞き方があるのです。 一つは、自分の心の門を開いて聞く、ということです。 人は心に門を持っているといわれます。まるで家のようです。親しい人には門を開けて家の中に入れで接待します。ところが、警戒する人には、インターホンや鎖だけをはずして少しだけ扉を開いて話をききます。大概は、少し聞いただけで、話を打ち切ってしまいます。はじめから聞く気そのものがなく、ただ儀礼として聞いているだけなのです。 心も同じです。親身になって人の話を聞く気がなく、聞いているふりをしているだけで、 心の門は閉じたままで聞いているのです。人の話をインターホンで聞いているようなものです。「心を尽くして人の話を聞く」というのは、私心なく、愛する心で相手のために耳を傾けることなのです。 心の門を開いて自分の心の家に相手を快く迎え入れることなのです。心の接待をすることなのです。 また、人のために話を聞く、というのは、自問自答しながら人の話を聞かない、と言うことです。多くの場合、人の話をききながら、自問自答しているのです。 相手の話を自分の心のなかで反発したり、批判したりしているのです。 「今相手はそんなことを言っているが、それは私への嫌味ではないのか。許せない、反論をしてやろう。」「相手をあんなことを言っているが、私にはまったく身におぼえのないことだ。相手の思い込みと決めつけにすぎない。一言言い返してやらなければならない」 などと、いちいち相手の話に批判を加え、相手の真意を汲みとろうとしない自己本位な聞き方をしているのです。 「心を尽くして人の話を聞いてあげる」とは、 自分の私心を無くしてただ相手の話に全身全霊で耳を傾ける ことを意味します。言葉を通して相手の心を汲み取り、感じとるために聞くことなのです。 ましてや、相手が救いを求めて話してきた場合、 「救ってくれる太い綱を探し求めて」 いるのですから、「真心を込めて聞かなければなりません。」 端的に言えば、耳で聞くのではなく 心で聞く ということなのです。  

3 言葉を聞いて心を感じ取る

人の心は大海のように深く広く、そして複雑です。悲しみ、怒り、喜び、楽しみ、など時には荒れ狂い、時には穏やかになります。その心が言葉としてほとばしりでるのです。 言葉は心の表現です。しかし、心の世界はあまりにも複雑なので言葉で表現仕切れない場合もあります。人は言葉で心を表し、理解をもとめます。 「心つくして人の話を聞いてあげる」と、相手の心を感じとることができるのです。その時、人は愛を感じるのです。 言葉をとうして心を感じ取ってあげることをが愛することなのです。それは、人間の愛を超えた、 神仏の愛 というべきです。それゆえ、話を聞いた下さっている人に神仏の愛を感じるのです。 仏教では、慈愛を持って人の悲しみ苦しみの声を聞くことのできる境地を 菩薩 と言います。 世の人の嘆きの声に、哀しみの心を、聞くだけではなく、観る境地を得た人を菩薩といいます。観世音菩薩というのです。略して観音様といいます。世の中の人の哀しみの音を観ることのできるほどの慈愛を得た人です。 もし、夫婦が互いに観音様のようになれたら幸福になるしかありません。 文鮮明先生は、菩薩どころか、愛を成熟させた、仏様というべきかもしれません。なぜなら、人の話を聞くのが大好きで、十時間、二十時間と拒まず聞くからです。 時を経つのも忘れて聞く方だからです。神様に代わって人の話をきいてあげ、「涙を流して お祈り」してとりなしてあげる方なのです。 神様とは親身になって心を尽くして人の話を聞いてあげる愛の父母なのです。  

4 人の話を聞くことは生命の負債を返す道でもあります

ところで、私たちは多くの人のお世話で生かされています。人間として生まれさせていただいただけで神様に負債を負っているのです。そして父母に大きな世話をかけたのです。兄弟や学校の先生達や友達などにの多くの人の世話を受けて生かされてきたのです。人の生命は、神様や人々から世話を受けて、負債をもっていかされているのです。 愛されて生きてきたのです。愛の負債を負って生きているのです。 愛された負債は、愛することによってしか返せません。 それゆえ、人の話を聞いてあげることは、「私が追った生命の負債を返す道でも」あるのです。私たちは人の話をきくことによって人生の何事かの負債をなくしているのです。そして、負債がなくなれば、幸福の蓄積ができるのです。 ある人の話を心を尽くして聞いてあげることによって、 自分の人生の過去を清算して、新しい人生の出発にもなるのです。幸福の門を開くことになるのです。  

5 心の書写は、文鮮明先生の愛を自分の心の書写することです

文鮮明先生は真の愛で多くを語り、多く聞かれる方です。人の話を心を尽くして聞いてあげることのできる人なのです。私たちの不幸は、それが出来ないことによります。 自分のために人の話を聞いていることが多いので、苛立ち、怒り、不快な気持ちになるのです。そして、相手の話を途中で折って、自分の話を聞いてもらおうとします。そして、喧嘩になるのです。愛は相手を受け入れるのですが、自分の我が強すぎて、自分を相手に押し込もうしてしまうのです。また、人の話を最後まで聞かずに、自分の思い込みや決めつけで相手を裁いてしまう場合が多いのです。 自分の愛の不足が自分を不幸にしているのです。 それに気ずいて、文鮮明先生のように、心を尽くして人の話を聞いてあげる、愛の人になるために、心の書写があるのです。

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